嫉妬について

 嫉妬、英語でenvyというのでしょうか、これはキリスト教では七つの大罪のひとつに数えられている、それほど倫理的にも宗教的にも重大な咎のひとつです。envyの意味には「嫉妬」のほかに「羨望」という意味もあります。要するにねたむ以前に羨み欲しがる心理とひとつながりになっているのです。

 どういうときにこのenvy(嫉妬・羨望)の念が強まるかというと、私の経験では同業者や同じ年齢や同じ経歴の人がそばにいるときに、この嫉妬・羨望の念が心の中で燃え上がりやすいのではないかと思います。たとえば女性の場合、同じ世代で結婚が決まった女性に対して同年齢のまだ結婚未定の女性は心の動揺をきたすかもしれません。私の場合もかつて大学院で勉強していたので、同じような経歴の持ち主でその世界でうまくいっている人と近くにいたら心の動揺を隠すのに一苦労でした。しかもあさましいことに、嫉妬・羨望の念の裏側に潜む劣等感を補うために、成功している相手の価値を切り下げよう切り下げようとしている自分に気づくのです。相手を自分よりなんらかの形で下に貶めないと心の平静さに戻れないのです。

 嫉妬・羨望の念はこの世にいながら、自分自身を地獄の炎で焼いてしまいます。しかも、この苦痛には何の報酬もないのです。

 嫉妬・羨望の念から完全に解放されることはないにしても、少なくとも、それをある程度減らしたとき、あのころの自分はなんて不自由だったのだろうと自覚することができるのではないかと思います。

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