不思議なこと、二つ。

 あれは私が高校2年生の6月ごろでしたから、今からもう40年近く前になります。その前年から私は虫垂炎の兆候が出ていたのですが、そのつど注射で抑えていました。それが17歳になったばかりの6月のある朝、猛烈な下腹部の痛みに突如襲われ、吐き気も止まらない症状に見舞われました。どういういきさつかわかりませんが、それでも私は登校して学校の授業を受けました。一時間目は英語でした。当時、私はクラスでも変人で通っていたので、本当は腹痛で体が揺れているのに、英語の先生も、周囲のクラスメートも私の様子をスルーするだけでした。二時間目になるとさすがに腹痛も度を越したものになり、体育の先生に見学させて下さいと頼みに行ったのですが、英語に出席したのなら体育にも出ろ、体育も英語と同じ授業なんだからという論理で見学の許可は出ませんでした。しかもその日は1000mのタイムを計るというテストの日でした。私は痛みが長引くより、早く走り終えて試練を早く終わらせようと一生懸命走りました。なのでお笑いになりますが、その日の1000mのタイムは自己ベストだったのです。

 それから後のことはよく覚えていません。保健室に駆け込み、帰った方がいいんじゃないと保健室の先生に言われ、徒歩で約1kmの家路をとぼとぼ帰りました。その後は昼飯を採るために帰宅した母に町医者に連れて行かれ「たんなる腹痛」という診断を受け再度帰宅。症状は悪化の一途をたどるばかりなので、ついに町で一番大きな総合病院に運び込まれました。

 即手術ということになり、背中に麻酔の注射を打たれ、腹部を切開、盲腸を除去され、手術は成功裏に終わりました。あとで聞いたところでは、あともう少し遅かったら盲腸が破裂し、腹膜炎一歩手前だったそうです。

 手術後6人部屋のドア側のベッドに寝ている自分に気づいたのは麻酔が覚め始めた夕方7時くらいだったでしょうか。もう食事時間が終わったのか、夏至に近いころなのでまだ明るさは残っているのに、廊下はとても静かでした。室内には20代から50代くらいまでの男性患者が漫画の週刊誌を読んだり、ラジオを聞いたり小型テレビに見入ったり、各人各様でした。私は麻酔が醒め始めたせいか、下腹部の鈍痛が無視できなくなっていました。

 そんなとき、廊下から室内のドアに、身長150cmもない小柄な老婆が現れました。手には風呂敷包みを持っていて、なにより人目につくのは、全身白装束だったことです。顔つきはどうでしたでしょうか。今思い出そうとしているのですが、しわは多かったがどこか上品な顔立ちだったような印象があります。私は他の患者さんに用事のある人だと思っていたのですが、そのおばあさんは、ドアから静かに私のベッドのほうに向かってきて、私のベッドの横に立ちおじぎをしました。それから風呂敷包みを開けて中からお祓いの道具を取り出し、説明も理由も言わずいきなりお祓いを始めました。5分間ぐらいお祓いをすると、最初と同じようにお辞儀をし道具を風呂敷に包んでドアから出て行きました。

 私はここ山口県の片田舎に住み始めたのは小学校5年のときでしたから、なんとなく、この地方でこういう習慣があるのかなと自分の中でこの出来事を合理化していました。ただ、あとで考えると腑に落ちないことも少なくありませんでした。第一、白装束の人が病室に入ってきて、同室の他の5はまったく無反応だったこと。その後、母や親戚に聞いてもはっきりした事情がわからなかったこと、などです。

 それでも、病室に白装束の老婆がいきなり現れるとなるとカーテンでベッドごとに仕切っているわけではないので丸見えになのですから、目を上げるとか目を丸くするくらいの反応があっても不思議ではないどころか、無反応のほうがよっぽど不思議です。

 その日の手術では一歩間違えれば私は寿命を終えていたのですから、このような体験をしてもおかしくはないかもしれません。いわば臨死体験のようなものです。

 しかし、あの白装束のとても小柄なおばあさんの印象はと聞かれると、幽霊やお化けに出会ったときの恐怖はまったくありませんでしたし、今も恐怖を感じることはありません。むしろ、むしろその物腰の凛とした上品さと親しみだけが残っています。

f:id:michelpoyo:20180428002448j:plain